事件名
日本人外交官殺害事件

国 名

イラク
年月日 2003年11月29日
詳 細

日本人もテロの標的になり得る。この事件が与えた衝撃は大きい。

2003年11月29日23時(現地時間17時)頃、イラク北部のティクリートで開かれる米軍による復興支援会議に向かう途中で、日本大使館員2名とイラク人運転手1名が、追い越してきた車から瞬時に自動小銃約30発を撃ち込まれ死亡した。

2002年3月に米英軍の先制攻撃で始ったイラク戦争。5月のブッシュ大統領による終結宣言の後も、イラクでは依然として米軍に対する自爆攻撃などが続き、治安は悪化の一途をたどっている。戦後復興どころか、米軍による高圧的なテロリスト掃討作戦が一般の人々の中の反米感情をも助長しており、イラクもパレスチナ同様のテロの温床となりつつあるという観測もある。そうした最中、計画的テロによる初めての日本人犠牲者が出た。

事件後間もない12月9日、イラクへの自衛隊派遣を閣議決定した日本政府は、「テロに怯まないこと、屈しないことこそが、ふたりの遺志を継ぐことになるのだ」として、テロへの対抗姿勢をあらわにした。しかし一方で、イラクの人々は、米軍やその支援者・支援国に対する攻撃を、テロではなくレジスタンス(=自分達の国を取り戻すための抵抗運動)なのだと言う。要するに、〈米軍による占領政策〉と〈イラクの人々が望んでいる復興〉とが、既に一致していないのだ。自衛隊の派遣をいくら人道支援なのだと言ったところで、米軍主導の復興支援である限り、イラクの人々にしてみれば不本意な侵略・占領への協力にしか見えない。標的になったとしても仕方がないのである。イラクの人々は、「日本による支援は歓迎するが、もう軍隊はいらない」と言っている。殺された奥大使自身も、実は米国主導ではなく国連主導の復興を望んでいたという。

「テロとの戦い」とは、人々をテロへと追い詰めているものの根本原因を断つことであり、目の前にいるテロリストを殺すことではないはずだ。ましてや、銃を携えて異国に乗り込むことでもない。