事件名
ボスニア・ヘルツェゴイナ内戦

国 名

ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)
年月日 1992年4月〜1995年
詳 細

他民族の女性をレイプし、子どもを殺すこと。これが最も有効な民族浄化の方法である


多民族国家であった旧ユーゴスラビアの中でも、とりわけ複雑な民族構成をしていたボスニア・ヘルツェゴビナで1992年4月、内戦が勃発した。当時の人口比率はイスラム教徒勢約45%、セルビア人約30%、クロアチア人約20%で、内戦以前は同じセルボ・クロアチア語を話すこともあり、お互いの慣習を認めあいつつ混住・共存してきた時代もあったが、1990年以降、周辺共和国に独立機運が高まると、独立を目指すイスラム教徒・クロアチア人勢力と独立反対のセルビア人による戦闘が激化、最終的には3勢力による「民族浄化」合戦が繰り広げられた。1995年8月NATO軍がセルビア人勢力の軍事拠点に空爆を行い、指揮系統が混乱したセルビア人側はイスラム教徒・クロアチア人勢力に支配地を奪われた。アメリカの強力な調停により和平協定に調印し、死者20万人、難民200万を出した3年半に及ぶ内戦が終結した。