事件名
東ティモール治安作戦

国 名

インドネシア
年月日 1977年9月〜1994年10月
詳 細

東ティモールは、 大国のパワーゲームに翻弄された地域のひとつだと言える。問題の発端は1974年の「海外植民地を放棄する」というポルトガル左翼政権の政策であった。その後1975年11月 に独立を宣言するが、一月後の12月に、共産主義の拡散を恐れたアメリカの了解のもと、インドネシアの軍事侵攻の末併合された。冷戦も終わり、国際的にも自決権が認められた現在だが、争いは続いている。制度が変わっても人の心はすぐには変わらないからである。


1975年12月7日、インドネシア国軍が東ティモールに侵攻した。1976年7月インドネシアに併合となるが抵抗闘争は続いた。そこで、インドネシア国軍は、1977年9月〜1979年3月、東ティモール住民の包囲殲滅作戦、1978年12月に科学兵器を使用しての東ティモール独立革命戦線(FRETILIN)の基地制圧作戦を実施した。さらに、1979年3月〜7月に住民の定住化と掃討作戦、1981年5月〜9月に治安作戦と続けたが、治安作戦の失敗で1989年、政府はFRETILINと交渉を持った。一方、FRETILINは抵抗闘争の強化を決定。1987年インドネシア国軍の掃討作戦が実施された。1994年、FRETILINは一方的停戦声明を発表した。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)