事件名
釜ヶ崎騒擾

国 名

日本
年月日 1961年8月
詳 細

『第一次釜ヶ崎暴動』とも呼ばれる。釜ヶ崎は、東京の山谷(現在は地図上にはこの地名は無い)と並ぶ、日本の日雇い労働者の寄せ場である。あまり知られていないが、60年代の日本の高度経済成長を、土木建築作業などにより影で大きく支えていたのは、彼ら日雇いの労働力である。しかしそれとは裏腹に、 暴力団手配師などによる搾取・収奪に苦しめられ、諸事情により社会保障の諸制度の適用から除外され、「労務者」として蔑まれるという現実があった。高度経済成長をこの時代の「光」だとすれば、公害問題や社会的な矛盾など「影」の部分を背負わされたのが弱者である日雇い労働者であり、釜ヶ崎や山谷といった地域だったといえる。この事件は、 寄せ場の日雇労働者による「人間性の復活」を求めた、不器用なメッセージなのかもしれない。


1961年8月1日、夜、失業者と日雇い労働者が多く住んでいた大阪区釜ヶ崎(現あいりん)地区の警官派出所前で自動車にはねられた労働者を警官が即死と断定し死体を放置したまま現場検証に入ったことに不満を抱いた労働者約300人が派出所に押し掛け、夜半には2000人の暴動となった。翌2日の夜には群集は1万人以上にふくれあがり、国電・南海電鉄・市電などが破壊され、近隣地域での派出所の破壊が続いた。3日、大阪府県警は機動隊6個中隊を出動させ、自警官・暴力団・群集の入り乱れた騒擾となった。4日未明に死者1人、負傷者約690人、逮捕者82人を出して混乱は収まった。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)