事件名
日本大使館占拠事件

国 名

ペルー
年月日 1996年12月〜1997年4月
詳 細

殺人自体が目的でない限り、理想と人を撃つという行為の間にギャップがないはずがない。 数カ月間の共同生活の間には、テロリスト側の若者と人質の間で打ち解けた交流もあったらしい。特殊部隊突入の際、人質を殺すべき場面で人質に向けた銃を下げた若者もいたという。結局犯人14人は全員銃殺された。


1996年12月17日、首都リマの日本大使公邸で祝宴中、反政府ゲリラ組織トゥパク・アマル革命運動(MRTA)の襲撃により600人が人質となった。1997年4月22日ペルー陸海軍特殊部隊140人が地下に掘ったトンネルから突入し犯人14人を全員射殺、人質を解放した。未解放であった71人のうち人質1人と特殊部隊員2人が死亡した。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)