事件名
連合赤軍浅間山荘事件

国 名

日本
年月日 1972年2月9日
詳 細

もちろん多くの死傷者を出した凶暴な事件を肯定する訳にはいかないが、彼らが必ずしも私利私欲のために多くの事件を起こしたのではないという点は重要である。赤軍のメンバーは、非常にまじめな人が多いとも聞く。方法が問題なのである。結果を取り上げ、「悪」、市民の「敵」と切り捨てることは簡単だが、同時に教訓も切り捨てることになる。
●使用武器 拳銃:22発 催涙弾:3126発 発煙筒:326発 現時球:83発 ゴム弾:96発 擬音弾:107発
●「96593000」は、浅間山荘事件に関する警視庁全費用(単位は円)。


赤軍は「銃による殲滅戦」路線を掲げ、本格的武装闘争を目指して結成された。1972年2月9日、河合楽器あさま山荘に連合赤軍のメンバー数名が籠城し、28日までの10日間、このアジトで日本左翼運動史上初の警官隊との銃撃戦となり、警官側に2人一般人に1人の死者を出し、連合赤軍5人が逮捕された。その後の調査の結果、連合赤軍内のリンチによりメンバー14人が死亡していた事が明らかになり日本中に衝撃を与えた。浅間山荘事件後、リンチ殺人事件により日本の新左翼運動は衰退の途を辿った。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)