事件名
光州事件

国 名

韓国
年月日 1980年5月
詳 細

1980年3月以降、韓国全土で民主化闘争が強まり、5月13日にはソウルで市民30万人のデモが暴徒化した。一方、光州では、全南大・朝鮮大などの学生デモで、空挺部隊が導入され、これにより民衆が合流し民衆蜂起となった。20日には民衆の市内占拠とともに、5.18事態収拾対策委員会のコミューンが設立され、自治権力支配が確立した。闘争の過程で穏健派が離脱し、政府は戒厳軍を投入し、ようやく10日間で軍事制圧し、政府権力を回復させた。5月30日に戒厳指令部は80万市民が決起した光州事件での死者174人、負傷者380人と発表した(国際人権擁護団体、アムネスティは、民間人死者1200人と発表)。この空挺部隊の導入は、その指揮権が米軍と韓国軍の共同責任であることから、問題を残し、韓国政府はその調査を約束し、1988年4月正式に光州市民に陳謝した。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)