事件名
バルチスタン反乱

国 名

パキスタン
年月日 1972年12月〜1975年10月
詳 細

パキスタンは、もともと多民族多言語による国家である。パンジャブ人53%、パターン人16%、シンド人13%、 バルチ人4%、その他に1947年の分離・独立前後にインドから移住してきたムスリムであるムハジールなどが現在の主要民族である。イスラム教を共通基盤とはしているが、異なった歴史と言語を持ち自治や独立をもとめる民族と政府との衝突も絶えない。1972年、第三次印パ戦争においてインドの支援のもとに独立した「バングラディシュ」も、もとはパキスタンの一部であった。


バルチスタンはその領域がパキスタン、アフガニスタン、イランに及んでいるが、1842年に英国がその間接統治に入って以来、1890年以降、その抵抗闘争は収束していた。パキスタンの独立で、バルチ族は1952年から55年まで大幅な自治を享受し、旧来のサルダール(部族長・地主)制を堅持してきた。1970年7月パキスタンの1州としてバルチスタン州(バルチスタン、パンジャブ、シンド、西北辺境の4州)の統合が成立した事で、彼らバルチ族はパキスタン政府への不信を強め自治を要求し、武装闘争に入った。12月、バルチスタンの1省をそれぞれ形成しているブグチ族、マリ族を中心に武装蜂起となり、バルチ族は約5万5000人が戦闘に参加し、政府軍も7万人が投入され、1974年までに死者が1万人を出した。1974年8月、ブット首相が投降勧告を行い、10月に反乱は終結した。1976年にサルダール制が廃止され、事態も沈静化した。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)