事件名
僧侶デモ

国 名

スリランカ
年月日 1989年4月7日
詳 細

スリランカの人口の3/4を占める シンハラ人の政権が、1954年、仏教ナショナリズム・シンハラ第一政策を掲げ、シンハラ語を公用語にしようとしたため、ヒンディー教徒を主とするタミル人過激派タミル・イーラム解放の虎(LTTE)などとの武力闘争が激化した。このため、タミル人の一部が難民となってインドへ逃れた。事態を重く見たインド政府は、1987年スリランカ政府と和平協定を結び、スリランカへインド平和維持軍を派遣した。これに、反発したシンハラ人左派勢力である人民解放戦線(JVP)が武装蜂起しスリランカ南部でテロを展開、政府要人の暗殺・暗殺未遂、政府機関への爆弾テロを行った。1989年、政府はこれを弾圧し鎮圧する事には成功したが、シンハラ仏教徒・僧侶の反発が起きた。デモを行った僧侶の危機感の背景には、スリランカ全人口の12.5%を占める少数民族タミル人の多くがジャフナ半島に住んでおり、JVPと対立するLTTEが何らかの分離独立地域を勝ち取った場合、ジャフナがその中心地区になるであろうという観測がある。


1989年4月7日、シンハラ人の若い僧侶200人以上がジャフナの仏歯寺の前で政府の政策、特に人民解放戦線(JVP)を壊滅させる企図に抗議してデモを行った。彼らは警察官により襲撃を受け、100人の僧侶が殺害された。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)