事件名
プラハの春/チェコ事件(ソ連のチェコスロバキア介入)

国 名

チェコスロバキア
年月日 1968年8月20日
詳 細

「プラハの春」は、1968年にチェコスロバキアで進められた政治経済改革のことで、ソ連の軍事介入( → ソ連の「ブレジネフ政権」)で押し潰された。 チェコ事件ともいう。60年代、共産党内に「人間の顔をした社会主義」をスローガンとする「プラハの春」と呼ばれる、民主化と自由化への動きが生まれた。68年1月には一党独裁政治を進めたノボトニ ーを退陣させ、改革派の指導者により、 検閲の廃止、言論や集会の自由、市場経済導入の試みなどが、次々と打ち出されていった。しかし、1968年8月20日、ソ連軍を主力とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキ アに侵入し、ドゥプチェクをはじめとする改革派の党幹部を逮捕。武力介入に抵抗する市民に向けてソ連兵による銃撃も行われ、数十人が射殺された 。 チェコスロバキアにふたたび春がおとずれるのは89年のことである。