事件名
朝鮮戦争

国 名

朝鮮半島
年月日 1950年6月〜1953年
詳 細

朝鮮戦争終結後、38度線が家の中を通っていたため、離ればなれになった家族もあると聞く。人々の希望とは裏腹に、北と南の国境線を越えることは現在も許されない。国境線は、必ずしも民族を守らない。


カイロ会談の方針に従い、南北それぞれに米軍・ソ連軍が進駐した朝鮮は、結局38度線を境に南北分離独立となった。1950年6月北がソ連の了解で南へ侵攻し、朝鮮戦争となった。それは、米軍の引き揚げによる空白が生じたことによるものであったが、戦争の勃発で米国は態度を一変し全面的に戦争に参戦し国連の名のもとに作戦行動が遂行された。開戦直後、北が圧倒的に優位であったが、9月にソウルを奪回した。国連軍総司令官マッカサーは38度線以北への侵攻を意図したがトルーマン大統領は中・ソとの対決を回避せんとこれを拒否した。しかし、国連軍の38度線以北への進出に対し10月に民族解放戦争支援の大儀で中国人民志願兵を派遣した局面に直面して中国への戦線拡大に踏み切ったマッカーサーは解任された。戦況は膠着状態となったが、中立諸国のアピールとソ連代表の平和代償演説を機に休戦会談が開催され、1953年7月に休戦協定の成立となった。死者70万人余、失踪者36万人余に達した。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)