事件名
ベトナム戦争

国 名

南ベトナム
年月日 1962年2月〜1973年1月
詳 細

ベトナム戦争は、冷戦の時代に起こった米ソの代理戦争であり、必ずしもベトナム人が望んだものではない。
Tシャツの記号は、米軍が散布した枯葉材の化学式である。残留ダイオキシンの影響で、ベトナムでは現在でも奇形児が生まれる。戦争は、まだ終わっていない。


米国の南ベトナムへの公式支持は1954年10月であった。1961年12月のベトナム白書『和平への脅威』によって、翌62年2月、米南ベトナム軍事援助指令部が設置された。1964年8月のトンキン湾事件を機に東南アジア条約機構の体制のもと大規模な関与となり、1965年2月には北爆を開始し、力の攻勢で臨んだ。1966年1月のテト攻防で彼我関係が逆転し、米国は、力の行使と和平交渉の二面作戦を余儀無くされ、北ベトナムと南の解放勢力、および米国と南の四者交渉により、1973年1月にベトナム和平協定の成立となった。米軍のベトナム派兵は概算で1960年5685人、1965年10万8300人、1966年54万1500人、1972年2万7000人であった。米軍の死者・行方不明者は5万7700人、負傷者30万7000人、航空機の損害8500機、直接戦費は1500億ドルに達した。同盟国軍の死者は6400人、共産側を支援した中国軍の死者は1100人、南ベトナム側のそれは20万人とされる。停戦時の米軍2万3000人は1973年3月までに完全撤退した。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)