事件名 |
原爆投下 |
国 名 |
日本 |
年月日 | 1945年8月6日・9日 |
詳 細 | |
145000は広島、74000は長崎での原爆投下による推定死亡者数である。 1945年7月にアメリカのトルーマン大統領が下した原爆投下命令は、同年8月に実行された。8/6、午前8時15分30秒、広島。ウラニウム型原爆〈リトル・ボーイ〉がエノラ・ゲイより投下、推定市民14万7000人が死亡した。次いで8/9、午前11時2分、長崎。プルトニウム型原爆〈ファット・マン〉がボックス・カーより投下。市民7万3884人が死亡、7万4909人が負傷した。この投下はポツダム宣言への日本への黙殺に対する制裁を「口実」として実行されたが、「新兵器の実際上のテスト」という目的があった。また、ソ連の参戦の前に日本処理の解決をはかりたいという米の思惑もあった。 ((浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋) |
|