事件名
モガディシオ暴動

国 名

ソマリア
年月日 1989年2月
詳 細

バーレ大統領が1991年1月、反政府勢力『統一ソマリア会議(USC)』に追われた後、事実上の無政府状態となり激しい内戦となる。議会や行政機能、経済活動や学校教育の一切が停止した異常な事態は10年以上続き、全人口の半数に当たる420万人が飢餓状態にさらされる。動向を憂慮した国連は『国連ソマリア活動(UNOSOM)』を組織し、1992年2月に他国籍軍を派遣しに圧力をかけるが、強硬派武装勢力との戦闘で多数の犠牲者を出し、1995年3月には完全撤退した。国連は平和維持に失敗しただけでなく、UNOSOMへの参加各国兵士の現地市民に対する残虐行為が明るみに出たことで国際世論から非難を受け、局地紛争への対応の難しさを思い知らされることとなった。現在も内戦状態は続き、統一政府樹立の見通しは立っていない。


1988年5月以降、バーレ政権は北部のイッサ族系『ソマリア民族運動(SNM)』の掃討作戦を実施し、12月までに5000人の民間人が政府軍に虐殺された。1989年以降も掃討作戦は続いたが、この混乱で、2月、首都モガディシオで暴動が発生し、政府軍の発砲で450人以上が死亡し、1000人以上が負傷した。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)