事件名
ケネディ大統領暗殺

国 名

アメリカ
年月日 1963年11月22日
詳 細

ケネディの暗殺の模様は、日米間で初の衛生中継(実験放送)でリアルタイムに茶の間に写し出された。ケネディは 黒人差別反対運動の指導者キング牧師に公民権法(黒人差別・人種差別などの撤廃を定めた法律)の立法化を約束し、議会に法案を提出するとともに、公民権運動に批判的な南部を遊説した。その遊説先であるダラスで凶弾に倒れる。ケネディ暗殺後、副大統領から昇格したジョンソンは、ケネディの政策を継承し、公民権法を成立させた。が、一方でべトナムへの介入を拡大し、アメリカはベトナム戦争の泥沼へと突き進んでいく。ケネディは史上最年少の大統領であり、貧しい移民の代名詞とされるアイルランド系移の家系であった。


1963年11月22日、テキサス州ダラス市内をパレード中のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された。ダラスは反ケネディ派の中心地とみられ、極右団体や反共グループがキャンペーンを繰り広げていた。FBIと地元警察は同日オズワルドを暗殺容疑者として逮捕し、オズワルドは一貫してその関与を否定していたが、24日ジャック・ルビーに射殺された。こうして事件の真相は闇に閉ざされた。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)