事件名
キルギスのオシェ事件

国 名

ソ連
年月日 1990年6月
詳 細

キルギスのオシェといえば、1999年に起きたタジキスタンのイスラム武装勢力による日本人技師拉致事件が記憶に新しい。オシェは、キルギスの主要都市の一つであり、タジキスタンとの国境地帯に位置する。ソ連邦成立以前、中央アジア5ヶ国(キルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン 、トルクメニスタン)は、イスラム社会を形成する一つの国であったが、その反抗を恐れたスターリンにより分断された。共産党の政策により各共和国は分業体制が敷かれ、経済的に相互に依存する関係となっていた。ソ連崩壊後もその政策は尾を引いている。


キルギスのオシェで1990年6月3日、キルギス人とウズベク人の住宅用地の取得をめぐって集団衝突が起き、首都ビシュケクにも波及、1週間にわたり相互の虐殺、暴行、略奪、放火が繰り返された。ソ連軍が出動して鎮圧されたが死者200人以上、負傷者4000人以上を数えた。オシェ州の人口はウズベク人26%、キルギス人70%であった。1924年の民族境界の確定以来、双方は住宅用地をめぐり緊張関係にあった。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜抜)