事件名
マーロット村事件

国 名

イスラエル
年月日 1974年5月
詳 細

戦争は国家間外交の手段のひとつであるという考え方もある。しかし報復の心理は、憎悪だけを糧とするものだということを、誰もが知るべきである。


1974年10月、アラブ首脳会議でPLOがパレスチナ人唯一の合法的代表と認められるなど、イスラエルは国際的孤立を深める情勢にあった。他方、パレスチナ・ゲリラによるイスラエル攻撃も激化した。4月パレスチナ解放人民戦線総指令部派の奇襲隊レバノン国境のキリヤトシモーネを襲撃し、死者18人を出した。さらに、建国記念日の15日パレスチナ解放人民戦線のゲリラ3人がマーロット村の小学校を襲撃し、人質となった生徒16人が死亡し、70人が負傷した。イスラエルはこの事件直後、レバノンのパレスチナ難民キャンプを報復爆撃し、難民300人が死傷した。その後も、イスラエルはゲリラ攻撃を阻止するために報復爆撃と砲撃を繰り返して交戦が続いた。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)