事件名
血のメーデー事件

国 名

日本
年月日 1952年5月1日
詳 細

日本メーデー史上初めての2名の死者を出した事件である。検挙者は1230名以上。希望を求めての行動は歓迎すべきである。しかし、暴力の介在は時に希望とは逆の結果を生む。日本共産党の暴力革命路線などの影響もあり、この年『破壊活動防止法』が公布された。


1952年5月1日の第23回メーデーは、前年のメーデー禁止処置への反発から、その強行を企図して、中央会場とされた神宮外苑や日比谷公園で解放予定の参加者6000人が使用不許可の皇居前広場に参集し、警官5000人と乱闘する事件となった。2人が射殺され、検挙者は1230人を数えた(首謀者に騒乱罪適用)。この5月1日に日本共産党機関紙アカハタが復刊された。5月30日には全国各地で5.30事件記念集会も開催され、東京の交番では火炎ビンが投げ込まれた。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)