事件名
大本教弾圧

国 名

日本
年月日 1935年12月
詳 細

1921年の弾圧後ファシズム的教義を掲げて復興した大本教を異端視した政府は1935年12月8日に治安維持法・不敬罪で弾圧を加えた。この背景には、当時の政府の「統治権力は国家にあり、天皇は単にその国家の機関にすぎない」という天皇機関説がある。これは、もともと皇道派系の宗教団体である大本教や軍部・右翼にとっては受け入れ難いもので、彼らも一方で天皇機関説を非難し不敬罪として告発した(すなわち、天皇の神聖化の強化)。しかし、巨視的な捉え方をしつつ振り返るならば、宗教組織が時にファシズム的な構造を持つことはよく知られたことで、現在ではファシズムのひとつと考えられる大日本帝国との間に軋轢があったということは、少々滑稽な印象もなくはない。


1921年の弾圧後ファシズム的教義を掲げて復興した大本教を異端視した政府は1935年12月8日に治安維持法・不敬罪で弾圧を加えた。信者数千人の逮捕、本部等施設7カ所の徹底的破壊、結社禁止処分のほか、出口任三郎ら7幹部は2年から無期の懲役刑を受けた。調書は拷問により作成され、その罪状は、「1928年の天理教研究会385人の不敬事件による検挙とともに、同28年以来政権奪取を目的とする結社を作った」ことにあるとされた。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)