事件名
関東大震災朝鮮人虐殺

国 名

日本
年月日 1923年09月01日
詳 細

この数字は関東大震災による死者数ではない。震災の混乱に乗じて殺された朝鮮人の数である。この事件は、極度のパニック状態で不安に陥っている一般市民の心理を利用した情報操作の悪しき事例である。当時の加藤友三朗内閣の内務大臣水野鎌太郎は、 普段から朝鮮人に対する憎悪の持ち主であった。彼が混乱に乗じて新聞などに「朝鮮人・中国人・社会主義者・博徒無頼漢が各地で略奪放火を恣にしているので、各地においても厳重な取り締まりを行うこと」と公表したことから、警察・在郷軍人・暴徒の自警団・消防隊による虐殺が始まった。その後、国際世論からの批判を受け、テロ中止令が出された。


1923年9月1日関東大震災が起こり20余万の家屋が倒壊し、火災による被害を多数出した。24万人の死傷者が出るという極度の混乱状態にあったが、不安に陥っている一般市民の恐怖心を外に向けるため、進歩的革命運動家への恐怖心をあおり朝鮮人・中国人に対する敵愾心が当局によって利用された。加藤友三朗内閣の内務大臣水野鎌太郎は平素から朝鮮人に対する恐怖と憎悪の持ち主であったが、そのとき発生した横浜での博徒による税関襲撃事件の誤報を契機に、2日午前2〜3時に千葉船橋無電局に某大尉を派遣して「朝鮮人・中国人・社会主義者・博徒無頼漢が各地で略奪放火を恣にしているので、各地においても厳重な取り締まりを行うこと」との無電を打たせ、新聞等によるその公表から、警察・在郷軍人・暴徒の自警団・消防隊による虐殺が始った。国際世論の批判を受け、17日テロ中止令が出され、虐殺は止まったが、虐殺された朝鮮人は数千人にのぼり、被害は中国人に及んだ。無政府主義者大杉栄が、9月6日甘粕正彦憲兵大尉によって麻布連隊の営庭で殺害される事件も起きた。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)