事件名 |
湾岸戦争 |
国 名 |
イラク |
年月日 | 1991年1月〜2月 |
詳 細 | |
「湾岸戦争」といえば、深夜のTVに音も無く延々と映し出されていた、緑がかった粗い粒子の画面に光が明滅するテレビゲームのような爆撃の映像と、重油まみれになった水鳥の映像がセットとなり思い出される。「重油まみれ水鳥」の映像は、日本が90億ドル(1兆1700憶円)を多国籍軍に拠出するべきか否かの議論が始まったまさにその時、「イラクがペルシャ湾へ原油放出をした」として米から各国に配信された。しかし、実際には、米中央軍の当初からの攻撃目標であった「ゲッティ・オイル・カンパニー」の原油貯蔵施設に米軍が誘導爆弾を打ち込んだための原油流出であったことが、テレビ朝日『ザ・スクープ』(1991年8月26日放送)の取材により明らかになった。米中央軍も、この事実を取材班に対して認めている。 1990年11月の国連決議で撤退期限が1991年1月15日とされたにも関わらず、イラクがそれを無視した為、1991年1月17日、米軍を中心に多国籍軍がイラクを爆撃し、湾岸戦争となった。2月15日、イラクは条件付きでクウェート撤退を声明したが、米国は拒否した。ソ連の仲介による撤退合意も米国が拒否し、24日多国籍軍が地上戦に突入した。26日フセイン・イラク大統領はクウェートからの撤退を命令し、28日戦闘停止命令を下した。国連安全保障理事会は4月恒久停戦決議を採択し、その中で武器禁輸措置を決めた。29日、イラクは凍結海外資産のうち約10億ドルの解除による緊急物資の輸入を要望し、5月の委員会は対象国の裁量で解除できると決定した。しかし同委員会は6月、停戦決議の遵守を検討し、経済制裁の解除緩和は見送った。12日の制裁委員会はイラクが要請した37億ドルの凍結海外資産を各国の裁量に委ねるとしたが、7月の先進国首脳会議で、イラクが国連決議を完全に履行するまで経済制裁は履行することを認識した。イラクは1997年、クウェートの主権を認めた。 (浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋) |
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