事件名
モン掃討作戦

国 名

ラオス
年月日 1977年4月〜1978年1月
詳 細

19世紀、中国・雲南省に暮らしていたモン族は清朝による長年の差別と迫害に耐えかね、大規模な反乱を起す。しかし、反乱は失敗に終わり更なる弾圧が行われた。このため、モン族はラオス、カンボジア、ベトナム、タイ北部の各地に散っていった。当時、インドシナ仏領であった これらの地域で、現地の人間の不満を押さえ込む仏側の意図もあり、奴隷に等しい扱いを受ける事になった。1960年代にベトナム戦争がラオスに飛び火すると、山岳地域に定住していたモン族は山岳戦に長けていたために政府軍と共産軍双方の陣営に組み入れられた。政府軍側に動員されたモン族は、CIAに物資の援助を受け、軍事訓練を施され前線用の兵士として養成されたが、共産軍に敗れタイ領内の難民キャンプ、更に海を渡ってアメリカやオーストラリア、フランスなどへ難民として逃れていった。1975年12月、ラオスはラオス人民民主共和国を樹立した。


1976年1月以降、モン(メオ族)のゲリラ活動がみられ、ラオス・ベトナム合同軍によるモン掃討作戦が1977年に開始され、12月までに7000人を殺害した。この戦闘では、毒ガスも使用された。モンも12月17日にはワッタイ空港への奇襲攻撃をかけたが、合同軍の圧倒的兵力の前に敗北し、12月21日2500人がタイ領へ脱出した。1977年を通じ、モンは国外へ脱出した。残ったモンは、1989年から1990年に政府を樹立したが弾圧された。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)