事件名
第2次印パ戦争(カシミール紛争)

国 名

南アジア域外
年月日 1965年9月
詳 細

1998年5月、インドとパキスタンは相次いで核実験を実施した。 かつては平和と寛容の理想を基盤にして反核運動を牽引したインドも、現在では核保有国のひとつである。 両国は1947年のイギリス領インドからの独立以来、カシミール地方の領有権をめぐり対立してきた。 相互抑止力維持のための核ミサイル開発競争は現在も続いている。


1965年8月,カシミールのウリ地区でインド軍の越境占領事件があったが、9月1日パキスタン軍大部隊がカシミールのチャム地区で実効支配線を突破してインド領に攻撃をかけ、インド軍は航空機28機を動員して反撃した。インド軍は6日パキスタン領内のラホール地区へ進撃し、8日ラジャスタン州からハイデラバードへ進撃した。23日停戦となり、死者はパキスタン軍3840人、インド軍1157人、他に民間人500人以上が死亡した。9月4日の国連安全保障理事会で即時停戦決議209(1965)が成立し、6日理事会はウ・タント国連事務総長に対し8月5日以前の状況回復要請を求めた。(決議20(1965))。しかし、15日現地でのウ・タント調停は成功せず戦闘は続き、20再度、停戦要請の安全保障理事会決議211(1965)が成立、22日インド・パキスタン双方は停戦を受諾し、23日停戦となった。27日安全保障理事会は、決議214で国連決議の履行を要請したが、10月の国連事務総長報告では国連決議の履行にいたっていなかった。11月に国連決議215の採択をみたが双方はソ連の調停要請を受け入れ、1966年1月タシュケント会議で解決を受け入れた。
(浦野起央編著『20世紀世界紛争事典』三省堂(2000年)より抜粋)